現役時代大活躍し、今はすっかり良きお母さんとなっている馬たち、
子供たちが大活躍しているお母さん馬を紹介しています。


ビクトリアクラウン / タレンティドガール / ブレイブウーマン / ナギサ / ビバムール

ビクトリアクラウン   父ファバージ 母ワールドハヤブサ 1979年生 
昭和56年最優秀3才牝馬
昭和57年最優秀4才牝馬
昭和56年 新潟3才ステークス
昭和57年 デイリー杯クイーンC
クイーンS
エリザベス女王杯
牝馬東京タイムス杯2着
有馬記念5着
昭和58年 AJC杯5着
全成績 14戦6勝
男勝りの馬体で、デビュー2戦目の新馬戦より、4才秋のクイーンSまで重賞レース4つを含み5連勝する。
絶対本命視されていた春の桜花賞一週前の追いきりで骨折し、桜花賞、オークスは断念、
うっぷんを晴らすかの様に秋のエリザベス女王杯では楽勝。その年の有馬記念では古馬の強豪を相手にヒカリデュール、アンバーシャダイから2馬身半の差で5着、桜花賞、オークス勝馬をしりぞけて文句無しの4才最優秀牝馬に選ばれる。

2007年1月30日に老衰のため死亡。数多くの子孫を残し28歳で大往生を遂げました。
ビクトリアクラウンと2000年産駒 ビクトリアクラウン2000(父エリシオ 2000年5月26日生 牝)




タレンティドガール   父リマンド 母チヨダマサコ 1984年生
昭和62年 エリザベス女王杯(G1)
オークス(G1)-3着
全成績 11戦4勝(2着2回、3着2回)

4才1月の中山でデビュー。新馬2着2回の後3戦目、田原成貴を背に未勝利を勝つ。
続く中山で桃花賞を連勝、オーナー、厩舎サイドで桜花賞には向かないと判断し、オークスへぶっつけ本番で臨む。断然人気のマックスビューティには及ばなかったものの、2着クリロータリーとはハナ差、残念な3着となった。
その後、静内千代田牧場へ放牧、当初から目標にしていた8/23函館の漁火特別を楽勝、続くクイーンSでは1番人気におされたが不本意の3着
エリザベス女王杯は、その年桜花賞、オークスを含め8戦全勝のマックスビューティが圧倒的な1番人気を得ていた。そのマックスビューティをゴールまであと1ハロンで並ぶ間もなく交わし、2馬身の差をつけゴール!
引き揚げてきたジョッキー田原は狐につままれた様な表情、まさに一刀両断であった。
この勝利の前後、つまり11/1には兄ニッポーテイオーが天皇賞を5馬身差で、妹のGT制覇翌週11/22にはマイルCSでも同じ着差で楽勝する。
兄、妹で4週間の間にGT3勝というすさまじい記録を達成。
一躍、母チヨダマサコを名牝の仲間入りさせた。
タレンティドガールと2000産駒(父タイキシャトル 2000年5月21日生まれ 牝)




ブレイブウーマン   父プレイヴェストローマン 母チヨダフジ 1985年生
昭和62年 新潟3歳ステークス(G3)-4着
平成2年 弥彦特別
全成績 44戦4勝(2着5回、3着4回)
3才新潟でデビュー戦を快勝。2戦目の新潟3才ステークスでは4着。タフな馬で、44戦4勝。
一度も故障でリタイアすることなく準オープンまで走り続けた。総収得賞金6465万円


7歳で引退し、その後タレンティドガール、リーディングロウルとともに英国ニューマーケットへ渡英。初年度配合されたマキャベリアンとの間に出来た産駒がコクトジュリアン。背丈はないが、とてもしっかりしたトモの馬であった。同馬は外国産馬として3才11月東京でデビュー。芝1600Mをヒシアケボノ、タイキクレセント、サイレントキラーを相手に初勝利を飾る。
2戦目赤松賞、芝1600Mでもジェニュイン、オートマチック以下を下し1,34,9で快勝。
続く3才王者決定戦の朝日杯(G1)では、416キロの体でフジキセキ、スキーキャプテンという大型馬を相手に直線一旦先頭におどり出たが、微差で3着の大健闘。
その後一息入れ、4月15日クリスタルC(G3)では、直線楽に抜け出し、重賞制覇を成し遂げた。
その後8歳まで41戦し母と同じく全く故障せずCBC賞(G2)3着、同5着、マリーンSなどオープン特別4勝、計7勝。総収得賞金25335万円余。

ブレイブウーマンの日本での初仔はマウンテンヒーロー(父ウォーニング)。母と同じく新潟でデビュー。調教で60秒をきる好タイムを出し、新馬戦1番人気になったが、結局中央で1勝、公営で5勝の成績にとどまった。

翌年、タイトスポットの牡馬を産む。同馬は、ブラボーグリーンの名でターフを走る。4才時小倉で初勝利。その後、福島ローズマリー賞で2着後、屈腱炎で半年休養。5才になり新潟の松浜特別を皮切りに特別3連勝する。続いて1600万下天の川Sで2着後、新潟記念(G3)ではのちの天皇賞馬オフサイドトラップの鼻差の2着。
一息入れた11月8日京都の1600下の清水Sを快勝後、11月28日京阪杯(G3)でブリリアントロードを抑え、見事重賞初制覇。
翌年、1月17日オープン特別ニューイヤーSでは、57.5キロを背負いながらも、直線鋭く伸びて芝1600M1,33.0の好タイムで1着となる。その後、中山記念(G2)5着、関屋記念4着。引退後種牡馬となる。

現5才にナイキアフリートがいる。今年3月11日中山にて6勝目をあげ、彼女の産駒の3頭目のオープン馬となる。今年に入って3連勝。今後の活躍が十分期待される。

現4才マジカルウーマンは彼女の初めての娘。兄達と違い、490キロの大型娘。3戦目で初勝利をあげ、500万下でも3着。今年から繁殖として牧場に帰って来ました。

マジカルウーマン出生後、不受胎となったため、再びアメリカへ渡米。1999年デヘアの牡馬を出産。同馬はターファイトクラブに提供、ブレイブスペシャルという名でデビューを待っています。

れにしても彼女の産駒は、今まで競走年齢に達した6頭の産駒のうち5頭が出走し、全馬が勝馬となり、トータル22勝をあげ、そのうち重賞2勝、オープン特別6勝。本当に凄いお母さんですね。

ブレイブウーマン(2000年10月撮影テーラーメードFにて)
ブレイブウーマンは、大変残念なことに2001年1月8日ケンタッキー州レキシントンのテイラーメードファームで子宮破裂のため急死してしまいました。
日本と違い、冬でも昼夜放牧で管理される環境の違いの中、ストレス等感じていなかったか、今となっては非常に悔やまれてなりません。
2月にはセイントバラードの仔を出産予定でした。まだ16才でした。
産駒たちには、是非頑張ってもらいたいと思います。
こぼれ話でも写真を見ることが出来ます。)


ナギサ   父マークオブディスティンクション 母ミデオンルビー 1993年生
平成10年 エリザベス女王杯(G1)-4着
平成11年 京都牝馬特別(G3)-2着
中山金杯(G3)-4着
全成績 34戦4勝(2着6回、3着4回)



ナギサは、当初、馬名が「ウルトラシー」になる予定でしたが、女の子らしい名前に、と「ナギサ」に変わりました。
しかし競走成績は、皆さんもご存知の通り「ウルトラC」だったように思います。
ナギサが500万下でうろうろしていた頃、牧場の従業員内では「ナギサ」ならぬ「さなぎ」と彼女を呼んでいました。
ところが、98年夏、長期休養明けの函館で凡走後、札幌の特別を2連勝。続く準オープンでは12着に終わるも、次走の府中牝馬S(G3)でなんと4着。そしてとうとうエリザベス女王杯(G1)に挑戦する事になりました。
エアグルーヴ、メジロドーベル、エリモエクセルなどの強豪を相手にナギサは14番人気。
「オリンピック精神で・・・」と報道では表明していましたが、ベテラン安田富男ジョッキーによる、超スローペースでの逃げ。なんと4コーナーでも先頭。
最後の直線では、並み居る強豪に差されはしましたが、ナギサも粘り腰を発揮し、堂々の4着でゴールインしました。
金杯でも好調を持続し4着。そして、中山牝馬(G3)では、マルカコマチの2着と、気がつけば、本賞金1億円以上を稼ぐ牧場の期待の馬になっていました。

2000年から繁殖入り。
初仔からサウンドザビーチ(牝 父アフリート 6勝、現役)を出すなど、繁殖牝馬として順調なスタートを切りました。
最初から、子育てぶりはなかなかのもので、その後も順調な繁殖生活を続けていたのですが、2005年の出産時に難産となり、当歳(タイキシャトルの牡馬)は生後直死。
その直後、ナギサは蹄葉炎を発症、2005年8月、闘病の末、残念ながらこの世を去りました。
現役時代からのファンの方も多く、牧場でも期待していた繁殖牝馬だっただけに、本当に残念です。
放牧地では他の馬に対して遠慮がちなのに、馬房に戻ると一変して人に威張ってみせていた、黒い大きな馬体を今でも思い出します。

ナギサの最後の仔、ハッピービーチ(牝 父タイキシャトル)が今年デビュー戦を快勝。今後の活躍に期待しています。

2001/5/1撮影(初仔のサウンドザビーチとナギサ)

 

ビバムール   父カーリアン 母マフィティス 1992年生
全成績 12戦2勝(2着3回)

タイキシャトルの母ウェルシュマフィンの全姉妹にあたる血統。

繁殖入りの年は、ブライアンズタイムを配合されたものの、不受胎。
1999産駒マイルドスマイル(父バブルガムフェロー)はターファイトクラブに提供。
調教での動きもよく、期待していたものの、残念ながら未勝利に終わり2003年より繁殖牝馬となっています。
2000産駒はピースオブワールド(父サンデーサイレンス)。名前の通りサンデー産駒らしからぬ落ち着いた気性の牝馬。
デビュー戦から無敗の4連勝でファンタジーS(G3)、阪神ジュべナイルフィリーズ(G1)を制し、満場一致で最優秀2歳牝馬に選出されました。
2001産駒ピサノバーキン(父サンデーサイレンス)。美浦・藤沢厩舎所属。デビュー前から評判馬でしたが、期待に応えて新馬勝ちを飾りました。
2002産駒は黒鹿毛の牝馬。生まれつき左の眼球がなく、日本で競馬はできないため、繁殖入りする予定です。
2003年はアフリートの牝馬を出産も、早産のため生後2日で亡くしてしまいました。
2004年、ブライアンズタイムを受胎し、予定日を楽しみにしていましたが、2月10日結腸破裂のため開腹手術を行いました。
手の施しようがなく、大変残念なことに安楽死の処置がとられました。帝王切開により何とかとり上げた産駒は初めての牡馬でしたが、肺が機能していなかったため、数時間しか生きることができませんでした。左後一白、栗毛の流星の立派な牡馬でした。

まだ12歳の若さ。2番仔から、GIウィナーを出し、今後がさらに期待されていました。
威張っているわけではないのに、放牧地では他の馬から一目置かれる存在でした。
子供をとてもかわいがり、人にも当たりの良い本当にいいお母さんでした。
今後はビバムールの残してくれた娘たちが、彼女の後をついで立派な繁殖牝馬となってくれることを願ってやみません。