何百万もの夢
Million Dreams

 8月12日の札幌競馬、芝1800mの新馬戦。単勝1.7倍の支持は、Frankelとサンデーサイレンスの血が入った馬の登場に、ロマンが感じられたからでしょうか。さらに厩舎が母系に縁の深い藤沢和雄師とくればなおさら…。

 ルメール騎手を背に新馬勝を飾ったミリオンドリームズには、その名の通り、何百万もの夢が詰まっています。これについては、かつて「シンコウ」の冠名で知られた大オーナー、安田修さんのお話から始めなければなりません。


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 安田修さんは馬主になって間もない頃から海外に目を向け、自ら足を運びました。欧州、米国ともご一緒させていただいた縁が、いまの私につながっています。

 安田さんはまず2歳馬を欧州から導入しました。その中の1頭に1989年生まれの Caerleon の牝馬シンコウラブリイがいます。藤沢和雄厩舎で新馬勝から連勝、連勝で重賞勝ちを重ね、GⅠマイルチャンピオンシップなど15戦10勝の成績を残した名牝です。
 1994年からは米国のセリに進出。初めて参加したキーンランド・ノベンバーセールで落札したのが、ミリオンドリームズの曽祖母にあたるメイプルジンスキー(父Nijinsky)です。3歳時にアラバマSとモンマスオークスの2つのGⅠを制したメイプルジンスキーは、初仔から牝馬三冠、GⅠ9勝を挙げた名牝 Sky Beauty を出しました。94年のセリは、4歳になった Sky Beauty がGⅠ4連勝の後、1番人気で迎えたBCディスタフで敗戦を喫した直後で、落札価格はそのセリの最高額となる270万ドルを記録。最後の一騎打ちを制した安田さんを、会場はスタンディングオベーションで称えました。最近だと1000万ドル近い落札馬が出たときに会場が拍手に包まれますが、それぐらいの価値がありました。

 このときお腹に入っていた A. P.Indy の牡馬ロードメイプルは日本に輸入され、藤沢厩舎で4勝を挙げました。翌年 Storm Cat を種付けして不受胎。その後いよいよサンデーサイレンスを配合すべく、日本に輸入されたのです。
 メイプルジンスキーの日本初年度はサンデーサイレンスの牝馬 Silence Beauty です。1歳時に逆輸出されてキーンランド・ジュライセールに上場、100万ドルの値がつきました。競馬は入着どまりでしたが、産駒からGⅠ2勝の種牡馬 Tale of Ekati を出し、その全弟で現4歳の Tale of Silence も今年、重賞を勝っています。

 次の仔が、同じく父サンデーサイレンスの牝馬ミリオンギフトです。1998年生まれ。今から20年前のことです。生まれてまもなく安田さんから話があり、これだけの血統はなかなか手に入らないと即決しました。父・飯田正の勝負服で、所属はもちろん藤沢厩舎。新馬戦は4着にきたものの、2戦で抹消し、翌年の種付シーズンに向けて米国に送りました。
 初年度の配合相手は米国が誇る名種牡馬 A. P. Indy です。当時は種付料が30万ドルに上がったばかり。その後7年もの間、30万ドルを維持しました。なぜ A. P. Indy を種付けすることができたのかは、以前のコラムで触れたことがありますが、これも縁です。種付料がまだ5万ドル程だった時代に、鶴巻オーナーから直接、本株を分けてもらうことができました。その価格は当時の私にとって大きな勝負でしたが(父は賛成ではなかった)、ミリオンギフトをその名の通りミリオンに仕立てたのは A. P. Indy でした。初仔の牡馬がキーンランド・セプテンバーセールで100万ドルを記録。その後の全妹たちもセリで落札され、私の米国での生産活動を支えてくれました。

 ミリオンギフトの3番仔で初めての牝馬が、やはり父 A. P. Indy のミリオンセラー。ミリオンドリームズの母となる馬です。ミリオンセラーは私名義で米国で走らせました。決して目立つ成績ではありませんでしたが、古馬になってからステークスを勝ってくれ、最後のレースでは私をBCシリーズの出走馬主としてチャーチルダウンズ競馬場に立たせてくれました。
 繁殖となった初年度は受胎せず、Shackleford を2年配合。そのうちの1頭が現在日本で走っているラローデです。
 2013年に欧州で Frankel が種牡馬入り。供用初年度は繁殖牝馬をGⅠ馬かGⅠ馬の母に絞っていたので、3年目が狙い目でした。配合申込みが受理され、2015年に米国で出産した後、英国に送りました。このときかわいそうなことをしたのは、生まれたばかりの牡馬でした。母馬を英国に送るため、代わりに乳母をつけたのですが、別離のストレスから体調を崩し、感染症で命を落としてしまいました。申し訳ないことをしましたが、英国から無事、Frankel 受胎の一報がきて救われました。

 ミリオンドリームズがまだお腹にいた秋、Frankel を訪ねてニューマーケットに行きました(安田さんと訪れて以来、20年ぶりのニューマーケットでした)。歩きながら、生まれてくる仔を誰に預けようかと頭を巡らせかけたとき、すかさずスタッフが一言。
「藤沢和雄調教師しかないでしょう」
 異論なし。即決、即依頼です。牝馬が生まれて、藤沢師が初めて牧場へ見にきたときの満面の笑みといったら。

「おい専務、札幌に追い切り見に来いよ」
「専務、この馬ヨーロッパ持って行くぞ」
 私のことをいまだに専務と呼ぶのは、藤沢師のように古い付き合いの人間だけ。語り合えば思い出話がとまりません。


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 安田さんが日本に導入した牝馬の中には、メイプルジンスキーのほか、年度代表馬ロードカナロアの祖母サラトガデュー、オークス馬レディパステルの母ピンクタートル、ダービー馬レイデオロの祖母レディブロンド、皐月賞馬ディーマジェスティの祖母シンコウエルメスなどがいます。安田さんはその後、馬主をお辞めになりましたが、彼によって1990年代に輸入された良質の繁殖牝馬たちが、どれほど日本競馬の発展に寄与したことでしょうか。

米国から日本、再び米国、そして英国を経て日本へ。世界を股にかけて、メイプルジンスキーからミリオンギフト、ミリオンセラー、ミリオンドリームズへとつながる夢を、いま藤沢師とともに追いかけられることが本当に感慨深いです。


安田修オーナーへ感謝を込めて




<上>20歳になったミリオンギフト。米国 Taylor Made Farm にて
<下段 左>ミリオンセラー 2010年 BCマラソン出走時
<下段 右>ミリオンドリームズの鞍上は、私が父から受け継いだミリオンギフトと同じ勝負服。